この法則に従って進む人々の上に、平和とあわれみとがあるように。また、神のイスラエルの上にあるように。
もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。
神の霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇とし、肉を頼みとしないわたしたちこそ、割礼の者である。
かつ、割礼の者の父となるためなのである。割礼の者というのは、割礼を受けた者ばかりではなく、われらの父アブラハムが無割礼の時に持っていた信仰の足跡を踏む人々をもさすのである。
しかしイスラエルの人々の数は海の砂のように量ることも、数えることもできないほどになって、さきに彼らが「あなたがたは、わたしの民ではない」と言われたその所で、「あなたがたは生ける神の子である」と言われるようになる。
イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない」。
しかしイスラエルの子孫は皆 主によって勝ち誇ることができる」。
神は正しい者にむかい、 心の清い者にむかって、まことに恵みふかい。
ただ、わたしたちは、達し得たところに従って進むべきである。
もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。
わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。
これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。
わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。
時に霊が三十人の長アマサイに臨み、アマサイは言った、 「ダビデよ、われわれはあなたのもの。 エッサイの子よ、われわれはあなたと共にある。 平安あれ、あなたに平安あれ。 あなたを助ける者に平安あれ。 あなたの神があなたを助けられる」。 そこでダビデは彼らを受けいれて部隊の長とした。
そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。
わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
ローマにいる、神に愛され、召された聖徒一同へ。 わたしたちの父なる神および主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
父なる神とわたしたちの主イエス・キリストから平安ならびに信仰に伴う愛が、兄弟たちにあるように。
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、
あわれみと平安と愛とが、あなたがたに豊かに加わるように。